福山雅治、父が53歳でがんで他界 看病の母は苦労、学生だった自身は「無力さでイライラ」も支えは

俳優で歌手の福山雅治が9日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。父の闘病や母の苦労、当時の自身について語った。

福山雅治

9年ぶりに番組に出演した長崎出身の福山は、子供の頃から親しんできた山王神社の被爆クスノキを題材に制作した楽曲「クスノキ」の弾き語りを披露した。

司会の黒柳徹子から「お祈りのような曲でもありましたよね」と振られ、「祈りなんでしょうね、僕の、おそらく」としみじみと話した。

楽曲は亡き父との思い出も込められていると言われ「そうですね」と福山。学校帰りの道中にこのクスノキがあり、学生時代に「父親ががんを患いまして。その入院していた病院も割と近いんですよ」と打ち明けた。

父は53歳で他界した。「若かったんで、闘って乗り越えようとしたんだと思いますけれども、転移も早く、広く。母親は朝ご飯を作って仕事に行って、病院に行って。兄弟は兄貴がいるんですけれど、僕と兄貴の夕ご飯を作りに帰ってきて、また病院に行って。父親が痛い、痛いと言うもんですから。泊まり込みで看病して。また朝戻ってきて、僕らのご飯を作ってっていう」と当時の母の様子を明かした。

その生活は1年続いたが、当時の自身については「自分が何か医学的なことができるわけでもないですし、自分の無力さで、逆にイライラしちゃってて、その無力さに。何も手がつけられない状態でしたねえ。自分で勉強もしないし。逆に友達とバンドばかりやって遊んでいるみたいなふうに見えていたんだと思います」と振り返った。

その中でも「ギターであるとか、ロックミュージックっていうものが、自分のそういう思いを受け止めてくれてたんだと思います」と続け、「と同時にそのクスノキという存在が、自分の父親の状況って過酷だな、母親は大変だなと思いながらも、もっともっともしかしたら、比べるもんじゃないかもしれないですけれど、大変なことっていうのは過去に、この長崎の街にはあって。歴史があって。世界ではどこかで戦争があってみたいなことを考え」と回顧した。

そのため「包まれていたんでしょうね。そのクスノキという存在に。自分の気持ちが、精神状態がこう」と語った。

この記事のフォト(1枚)

  • 福山雅治

関連記事

お気に入り記事一覧

お気に入りがありません。

プレゼント